
塵に還る
時期:第十次崩壊収束後(第十一崩壊発生中?)
登場人物:華、アポニア
華が第八の神の鍵「渡世の羽」を火を追う蛾から渡された時の出来事。アポニアは神の鍵の「第一定格出力」の開発者だった。
アポニアは華の「運命」を変えようと声をかける。アポニアは渡世の羽の力について華に伝えた。アポニアは渡世の羽の真の力を「呼び覚まし」華のための武器にした。これを「第一定格出力」とアポニアは名付けた。
第一定格出力の代償は己の記憶。アポニアは華が出撃する前に第一定格出力の使い方を教え、今日の会話を忘却した。
アポニアの台詞「あなたは第八の神の鍵の、唯一の所有者だ」:華(フカ)が渡世の羽の唯一の所有者であるという表現は本編の識の律者編でも出てくる。
全文
「……意味が分かりません。」
「火を追う蛾はきちんとした意図を持って、それをあなたに渡した。華、何があっても、あなたは第八の神の鍵の、唯一の所有者だ。」
「受け取って、いつかヴィルヴィはそれを完成させる。それまで、私の「戒め」がある限り、「使い果たす」可能性を除けば、効果に欠陥はないはずだ。」
「戒め?しかし、それは……」
「ええ……一方的な願望とは言え。」
「必要になった時、きっと分かるはずだよ。」
「……」
「アポニア、こう聞くのは少し失礼かもしれませんが……どうしてそんなことをしたんですか?」
「こうして話すのは、今日が初めてですよね。」
「そう……もし、ずっと前からこの出会いを知っていたと言ったら?」
「私はずっと待っていた……ずっと期待していたの。」
「あなたは……私の運命を変えようとしてるんですね、他の人たちにしたように。」
「ええ。」
「『私の』運命。」
何かを思い出したかのように、少女の口調は珍しく強いものになっていた。
「そういう言い方が気に入らないのは知っている。だから……変わる機会は、あなた自身に任せる。」
「ヴィルヴィの想定内ではないけれど……私は神の鍵の、律者としての最も真なる力を『呼び覚まし』、一つの道具ではなく、あなたのための武器にした。」
「名前はあまり気に入っていないけれど……『第一定格出力』。」
「……今なんて?」
「ただ……使用する時の代価は尋常ではない。あなたがここを離れる前に、少し見せましょう。」
「心配はいらない。今日、私たちが話したことは、もともと『覚えておく』つもりはないから。」
「――私のわがままを許してほしい。もう思い出したくないの。誰かを救おうとした時の自分が……」
「……いかに無力だったか。」
戒めを受ける者
時期:第十二次崩壊収束後
登場人物:千劫、アポニア
第十二律者(侵蝕の律者)が封印された後、千劫はアポニアの罪を問う。
サクラの妹リンは死をきっかけにして侵蝕の律者の力を発現させた。リンの死に関わったのはアポニアの戒律を受けた者たち。「崩壊に対抗する希望を永遠に諦めるな」という戒めがなぜ惨劇を生み出したのか、それはアポニア自身にも分からなかった。
千劫は以前と同じ戒律を受けると宣言。戒律の内容は「無実の人間に怪我をさせてはならない」。アポニアが本当に無実ならば、彼女を殺せない。千劫はアポニアの命で彼女が有罪かどうかを明らかにしようとした。
全文
仮面を被った男は、死体を一体ずつ彼女の足元に投げる。
五十三……五十四……そこで、制止した。
「リンが死んだ時、こいつらはみんなその場にいた。」
「――同じ戒律を持ってたんだ。教えろ、一体何なんだ?」
「もし……答えを得る術はないと言ったら?」
男は地面を指差す。
「次はお前だ。」
「知っていると思うけど……私が死を恐れたことは一度もない。あなたも……できないと思う。」
「しかし……どうしても代価を支払ってほしいというのなら、私は断ったりしない。」
「私が彼らに与えた戒律はとてもシンプルだった……『崩壊に対抗する希望を永遠に諦めるな』。どうしてそれが律者に対する憎しみを……彼らを狂わせたのかは知らない。」
男は冷酷に笑い出した。
「お前がしてきたことと一緒だな。」
「……」
「千劫、私はあらゆる物事を知ることができるけど、全てを支配できるわけではないよ。私だって……過ちを犯してしまう。」
「かつてあなたに与えた戒律も同じだった。『無実の人間に怪我をさせてはならない』……確かにそれはあなたの力を制限した。だけど、あなたは自分の殺意を抑えようとしたことは一度もないでしょう。」
「愚か者め……」
「お前自身を、そしてこの世界を見ろ……『無実』だって言えるやつは誰一人いないんだ、アポニア。」
「だが、お前はいいことを言ってみせた……不本意だとしても、お前はサクラの死に代価を払うべきだ。」
「俺はお前を殺す、今日、ここで。」
「だが、『公平』を与えてやる。『無実の人間に怪我をさせてはならない』という戒律をもう一度受けてやろう……」
「それで、答えをよこせ……お前の『命』を以て。」
影の中
時期:グレーシュの手術後(第七次崩壊収束後から第八次発生にかけて?)
登場人物:アポニア、グレーシュ
至深の処でアポニアはグレーシュに出会った。
何もしゃべろうとしないグレーシュに、アポニアは優しく声をかけて落ち着かせる。グレーシュはやがてアポニアに心を許し「お母さん」と呼んだ。
「噂:畏服」によると、元々手術後の面倒を見ていた者達がいた。だが、何らかの問題が発生しアポニアがグレーシュへ「治療」を施したらしい。
捕捉:グレーシュの手術時期
はっきりとしない。
融合手術は第七次崩壊から第八次にかけての第一期と、第十次収束後の第二期がある。第二期で誕生した融合戦士の数は多い。第一期の戦士の方が適正審査が厳しく、比較的優秀だったのかもしれない。グレーシュの能力の特異性からすると第一期の可能性がある。また、第八律者戦では精神感知型の戦士が主力となったが、アポニアは至深の処にいて参戦していない。
両親が亡くなった後に受けた=第二期(第十次収束後)の可能性もある。父の痕が亡くなったのは第九次。その次は支配の律者で、基地の内部に疑似律者が現れている。研究者の母が犠牲になっていてもおかしくはない。
全文
「……グレーシュ、かな?いい名前だね。どうしてここにいるの?」
「……」
「一人で置いていかれて、怖かったね……」
「さあ、おいで。」
「……」
「ああ、人見知りな子なんだね……なら、お腹は空いている?何か食べたくない?」
「……」
「ええ、いい子。焦らないで、ゆっくりでいいから……さあ、手を……いい子……」
蝶の羽根のように優しい女性の声が空気を揺らす。その声には特別な魔法があるようで、人を落ち着かせることができる。
灯りはいらない。彼女の存在は灯火のように、彼女と少女の間を明るく照らした。
それ以外は、暗闇と、「至深」しかない。
漆黒の果てで、暗くて冷たい無数の影が佇み、絶望を感じさせるような恐ろしい気配を醸し出している――もしかしたら、それらが「絶望」そのものなのかもしれない。
しかしその時は、彼らはただ恐れ、警戒しながら二人を見つめるだけだった。
まるでそれは闇の中にある一筋の光ではなく、暗闇や死より……あらゆる怖いものよりも恐ろしい存在を見つめるかのようであった。
女性はただただ、少女の顔や手についたクリームを優しく拭いてやる。
「ここは……確かに少し狭いね。どうやら、もう少し静かな場所に移動しないといけないようだ。」
そう言いながら、彼女は外へと向かう。人々は彼女のいるところから、潮のように音もなく下がっていく。
その時、小さな手が彼女の手を握った。
見上げた少女は無邪気な眼差しで彼女を見つめる。
その幼い唇は微かに動き、暗闇の中で彼女がここに来てから初めて口にした音を放った。
「……お母さん。」
調査報告:戒律
時期:第十二次崩壊収束後
登場人物:メイ博士、ケビン、メビウス
メイ博士はアポニアの戒律に関する調査報告書を提出。自身の推論を確かめるため、至深の処へと向かった。
報告書には戒律を受けた結果、治癒能力の向上や恐怖症を克服する能力に目覚めた例が記録されていた。メイ博士の推論によると戒律の本当の能力は「被験者の潜在意識にある「願望」に服従する状況下で、彼らの意識と体に影響を与え、変化させること」。しかし、これは崩壊獣ミトラにはない特徴であり、アポニアの体にある「予期せぬ特例」に関してもさらに研究が必要。メイ博士は自身の体で実験するため戒律を受けに行った。
この報告を知らなかったケビンは、メイ博士が至深の処から帰ってくるのをただ待つことしかできなかった。
メイ博士の研究を知っていた人物
筆跡に関してはテキスト中に捕捉。
- エリシア→可愛らしい筆跡
- スゥ→真面目な筆跡
- メビウス
全文
しわくちゃになった研究報告書の上には、異なる筆跡による備考が溢れていた。
【サンプル1】■■■■
■■歳、「毒蛹」メンバー。
症状:重傷、全身各所に程度の異なる怪我がある。
「受戒」影響:体内細胞が大幅に活性化し、全身の傷は3ヶ月以内に元通りになった。
【サンプル2】■■■■
■■歳、後方サポートスタッフ。
症状:足の骨折。
「受戒」影響:骨折箇所が1週間以内に完治した。
備考:当該サンプルは「受戒」する前は、どのような手術も拒んでいた。治癒能力の上昇と関係があると考えられる。
(備考:
可愛らしい筆跡「医者をこんなに怖がるなんて、メビウスのところでひどい目に遭ったことでもあるの?」→エリシア
真面目な筆跡「残念ながら、彼は完治した翌日にもう片方の足を骨折した。」→スゥ)
【サンプル3】■■■■
■■歳、至深の処囚人。
症状:重度の閉所恐怖症と暗所恐怖症。
「受戒」影響:暗視能力を手に入れた。
真っ暗な環境でも聴覚と触覚を通して任務を執行できる。
【サンプル4】■■■■
……
【研究結論】「戒律」は被験者となる生物の潜在能力を刺激することができる。(この結論は削除された。その下に、優雅な筆跡で補足内容が書かれている。)
「戒律の本当の能力は、被験者の潜在意識にある「願望」に服従する状況下で、彼らの意識と体に影響を与え、変化させること。崩壊獣「ミトラ」は似たような特徴を見せたことがないため、アポニアの体にある「予期せぬ特例」には更なる研究が必要であり――アポニアの自身に対する「才能」への言葉は信用できないと考えられる。
……そのため、私は至深の処に向かい、「戒律」を受けることで、自身の推論を確かめる。」
この報告書はある青年によって握り締められ、その手は怒りで微かに震えていた。
「なぜ、僕だけがこの報告を受けていない?」
「静かにしてちょうだい、手下さん。」
「メイはいつもそうでしょ。自分のほしいものをよく分かってるし、それを成し遂げる方法も知ってる。」
「……」
「彼女はもう至深の処に行ったわ。今のわたしたちにできることは待つことだけ。」
「待って、彼女を信じることだけよ。」
最初の戒め
時期:第十二次崩壊収束後?(メイ博士のミーティングの日?1この日、アポニアはミーティング参加者ではないエリシアと会っている。追憶の皿エリシア「予言」より)
登場人物:アポニア、エリシア
アポニアに見えている運命の「糸」について話すアポニアとエリシア。エリシアは次に会った時、「糸の正体を教えられるかもしれない」と言った。
アポニアは初めて戒律を自分にかけて日に見た光景をエリシアに話した。これ以降も多くの人に戒律を与えたが、糸が見える能力に目覚めた者はいなかった。糸が見える能力はアポニアだけの特別なものだとエリシアは感じる。
「糸」とは一体何なのか。糸が最終的に向かっている場所はどこなのか。それはアポニアにも分からない。エリシアは自分の糸について、今度会う時に教えて欲しいとアポニアへ頼んだ。その時なら「糸の正体を教えられるかもしれない」からと。
全文
彼女はあの瞬間を今でも覚えている――あの時、彼女は自分自身が「天からの贈り物」を手にしたことをまだ知らなかった。
まるで突如悟った啓示のように、見えない手が彼女を前に押し出し、運命の与えた跡に触れるようにした。
それは光で構築され、人々の頭の上ではっきりした跡を描く糸のような血管だった。
どこかで交錯し、絡み合ってはバラバラになり、それぞれの果てに向かって伸びていったり、目で見えない場所で急に切れたりする。
言葉では表現できない束縛感の中、彼女は自身を取り囲んだ「糸」に手を伸ばし――
……
「それが、アポニアが初めて自分に『戒律』を使った後に見えた光景なの?」
「アポニアの目に映った世界が見てみたかったわ。
きっと素敵で、一生忘れられない景色なんでしょうね。」
「あなたに私のすべてを共有することを惜しんだりしないよ、エリシア。
けど、あれは美しい景色ではなかった。」
「私はあなたに『戒律』を与えられない。それと同じように……私もあなたの願いを叶えられない。」
「その後、私は多くの人々に『戒律』を与えたけど、『糸』が見える能力は誰一人として得られなかった。」
「それは、アポニアは特別だからよ。同じ景色は見えないけど、そういう特別な感じは理解できるわ。だから、寂しく思う必要もないのよ。」
「けど、そういう『糸』って一体何なんでしょうね?」
「……分からない。」
「空中にある糸は、その持ち主についていき、触れることができない。
糸の存在は見えるけど、その方向は変えられないの。」
「じゃあ……『糸』が最終的にどんな場所に向かっているのか、探してみたことはある?」
「切れたんだ。」
「……切れた?」
「私が見える限りでは、全ての糸はある位置で切れていた……もしかしたら、それが私の力の極限かもしれない。」
「そうだったのね……」
少女は首を傾げて、相手にウィンクした。
「じゃあ……あたしの頭の上にある『糸は見える?どんな形?どこに向かってるの?」
しかしアポニアが答える前に、細い指が彼女の唇に当たった。
「やめておくわ。今は聞かないでおきましょう。答えは、今度会ったまた教えてね。」
「もしかしたらその時は、『糸』の正体を教えられるかもしれないから。」
極寒の地から
時期:第五次崩壊収束後
登場人物:アポニア、千劫
黄昏の街で発見された千劫。発見時の彼は瀕死の凍傷を負っていた。アポニアは回復した千劫と面会し話を聞くことにした。
アポニアは千劫が寒い場所からやって来たのかと思ったが、彼の返答は「冷たい人に遭遇しただけだ」。アポニアは千劫が話した「彼女」について正しく理解することができなかった。
現代設備の使い方も知らない千劫を心配し、アポニアは助けが必要がどうかを聞く。千劫が必要とした助けは「嫌いなやつに離れてもらいたい時」に使う言葉を教えることだった。
千劫が話した彼女:第五律者(氷の律者)で千劫が最初に殺した律者。
全文
「大丈夫。彼と話をさせてもらってもいい?」
そう言って、彼女は扉を開けて中に入った。相手の返事はいらなかった。
そういった状況がいつから始まったのか、己の言葉にある「絶対」的な説得力はどこから来るものなのか、彼女自身も分からない。
しかし、物心がついた頃から、彼女は他人から拒絶されることはなかった。
どうしても仮面を外そうとしない男は、自分が起こした火の横に座っている。
現代設備の使い方を知らないようだ。
療養所のスタッフが男を発見した時、彼は死に至るほどの凍傷を起こしていたが、今、何の治療も受けていない状況から察するに、彼はすでに完治したようである。
「あなたは……寒い場所からここにやってきたの?」
彼女は何の迷いもなく相手の傍に行き、彼と同じように炎に手を伸ばした。
「冷たい人に遭遇しただけだ。」
男は初めて、口を開いた――彼女でさえ驚いてしまう。
「そう?相手はどうなったの?あなたと同じように凍傷を起こしてた?」
男はその言葉を理解できなかったようで、顔を伏せてしばらく考え込んだ。
「彼女はもう一人じゃない。」
「そう……ならよかった。」
彼女は明らかに何かを誤解している。
「じゃあ……家族とかは?」
「いたみたいだけど、遠い場所にいる。」
「じゃあ……早く見つけてもらえるといいね。」
その時、男はようやく顔を上げた。この女は狂っていると、彼はそう思っている。
「お前は何がしたいんだ?」
「助けが必要かどうかを知りたいの。」
男は頷いた。
「ああ、必要だ。」
「嫌いなやつに離れてもらいたい時、人は何と言うか教えてくれないか?」
「それは……」
「おそらく……離れてください、だと思う。」
「長すぎる。覚えられない。」
「そう……では……少し失礼だけど……こういう言い方のほうがしっくり来るかもしれない……」
「『どけ』?」
男は初めてその言葉を耳にした。
少し新鮮で……そして、得意げに。
「ああ……どけ。」
彼女は笑い出す。
優しく、何の悪意もなく。
噂:畏服
時期:グレーシュが超変手術を受けて少し経った頃(第八次以降?)
登場人物:アーウィン、伏義
噂好きのアーウィンと伏義は、グレーシュの超変手術後に流れた噂の話をする。
火を追う蛾のとある者達は手術後のグレーシュの世話(監視)の任務を負っていた。しかし、グレーシュに何かしたか原因は不明だがトラブルになり、アポニアを頼った。アポニアはグレーシュの「治療」をした後、彼らのしたことを糾弾。赤い目(必殺技の目のこと)をして彼らの罪を問う。
アポニアの台詞を大げさな演技で再現する伏義。彼女の手には「一幕劇脚本概論」があった。
全文
「アポニアに関する情報?一つだけ覚えればいい。彼女は危険だ、関わるな。」
「でないと……あいつらの結末を、君も知ってるだろ?」
「結末?何のこと?無事のように見えるけど。」
「それは君がまだアポニアの恐ろしさを知らないからだよ。彼らがここに来る前の任務が何だったか知ってる?」
「確か、超変手術を受けた子の世話だな。その子の名前は……グレーシュだったっけ?」
「世話というより、『監視』のほうが正しい。」
「グレーシュに何をしたか知らないけど、とにかく……トラブルになって、仕方なくアポニアに助けを求めたらしい。」
「信じてくれ、あれは最悪な決定だった。」
「どうして?」
「詳しいことは私も知らないけど、結果は……背筋が凍るようなものだった。」
「聞いた話だが、グレーシュに会う度に、やつらは彼女に跪いて許しを請うらしい――そうだ、跪いて、泣きながら許しを請うんだ。そしてそれはグレーシュが立つことを許すまで続くらしい。」
「……非常にドラマチックな結果だ。」
「もっとドラマチックなこともあるぞ。」
「噂によると、彼女がグレーシュの『治療』を終わらせた時はまだ落ち着いてたみたいだった。誰がグレーシュをあんな風にしたと、優しい口調で聞いたらしい。」
「もちろんやつらは認めない。アポニアもそれを知ってる。それでも、彼女は怒らず微笑んでた。ただ、目が徐々に赤くなって、やつらを見つめながら、ゆっくりとこう話したんだ――」
「『おそらく、己の罪を前にする時だけ、必死に隠そうとするのでしょう。
』」
「『あの子を利用したことは、あなたたちが夜中に驚いて目覚めるような悪夢になるのだろうか……その全てが己の身に返ってくると知った時、あなたたちはどうなるのか想像したことはある?』」
「『あなたたちのような卑劣な臆病者は、全ての因果応報を目にしないと……偽りの恥で震えたりなどしないでしょうね?』」
「……」
「どうだ?恐ろしいだろ?」
「確かに恐ろしいな、君のその大げさな演技は。
本当にそう言ったのか?」
「……待て、その手に何を持っているんだ?『一幕劇脚本概論』?」
墜落の前
時期:第九次崩壊収束後
登場人物:アポニア、メビウス
過度超変で変わり果てたコズマの姿を目にしたアポニアは、元凶であるメビウスを非難する。
第九次崩壊後、コズマが過度超変を起こした。悪魔のような姿になったコズマはメビウスの実験室で眠らされていた。コズマがこうなることを分かっていて崩壊獣を食わせたのはメビウス。コズマを「実験サンプル」としてしか見ていないメビウスをアポニアは非難した。
メビウスを責めても現状は変わらない。メビウスならコズマを助けられるが、戒律が「前提」となる。戒律は一歩を踏み出す手助けにはなるが、コズマが「深淵」に向かうことを決めたのなら、怪物になったまま戻って来れなくなる。すべては彼の意思次第だった。
戒律について:メイ博士の推測では戒律の能力は『被験者の潜在意識にある「願望」に服従する状況下で、彼らの意識と体に影響を与え、変化させること』。戒律をかければ対象者の行動を何でも制限できる訳ではなく、本人の願望が重要。コズマの過度超変の原因は「怒り」。そのため彼がこのまま崩壊獣と化す選択をする可能性も大いにあった。
全文
「あなたのいう『ちょっとした』副作用とは、こういう状況のことを言うの?」
漆黒の影が培養液の中に浸かり、外の世界に声なき威圧をかける。明らかにこの世界のものでない奇怪な生き物、というより……悪魔だ。
そしてそれは今、目を閉じて、仮眠しているかのように動かない。
だからこそ、彼女はいつものように、何の焦りもなく目の前の状況について話すことができるのだ。
「分かってるくせに聞くのね、アポニア。」
「彼がなぜこんな風になったのか、同類として、あなたも分かってるはずよ。」
そう、同類。
アポニアは黒い影になる前の、あの少年の姿をまだ覚えている。
しかし今、彼の体内にある力は本人を呑み込み、彼が殺した崩壊獣と何の違いもない「怪物」にした。
唯一違うのは、その体にはまだ微かな起伏があり、呼吸があることである。
「けど、融合戦士の中でも、彼はかなり特殊ね……その点においては、彼に感謝しないといけないわ。」
「あなたにとって、彼はただの『サンプル』でしかないの?」
緑色の髪の少女は答えず、透明なカプセルの横にある機材に集中し、黙々と記録している。
「そんな風にわたしを見ないで、アポニア。」
「わたしたちが彼に対してどう思ったとしても、彼の現状に何の影響も与えられない。それに、もし彼を助けられる人がいるとしたら、それはわたししかいない。」
「だから、善悪とか、そういう抽象的な話をする必要はないのよ……分かるでしょう、実験室では効率が一番なの。」
「……あなたは、彼に起きた異変を変えられるの?」
「当然よ。でもその前に、欠けてはならない『前提』が必要なの。」
「さあ……彼に『戒律』を与えてちょうだい。」
「……なるほど。」
「でも、もし『戒律』でも彼を助けられなかったら、他に方法はあるの?」
「残念だけど、もし本当にそうだとしたら、わたしでも手の施しようがないわ。少なくとも今はね。」
「異変は少しずつ彼の体や、理性を蝕み……彼を「人」という概念から遠ざけていく。そして、崩壊獣を呑み込む度に、その状況はどんどんひどくなる。」
「それは……とても、とてもむごい光景になるわ。」
「それは私が、あなたに忠告しようとしたこと。」
「『戒律』は、最初の一歩を踏み出す彼を手伝うことができるけど。」
「もし……最終的に、彼自身が深淵に向かうと決めたなら、『戒律』によって……戻れなくなる。」
「ふふっ……それはわたしが決められることじゃないわ。」
「心の束縛を解き放ったら、そう簡単には元の状況に戻れないでしょう。
束縛がないこと、それがいかに楽で、自由で……足を踏み出すように簡単だって、彼も気付くはず。」
「そうしたら、彼の前には……崖しかない。」
「後ろに下がったら、結果はよくなると思うの?」
「崩壊獣を呑み込みたい飢えを抑え、理性をどんどんなくすか、自制できず、体内にある崩壊エネルギーに蝕まれるか……」
「彼がどちらを選ぶか、わたしたちは静かに見守りましょう。」
目覚め
時期:第八次崩壊収束後以降
登場人物:アポニア
アポニアは運命を変えるため400件以上の事件を起こした。火を追う蛾の600人のメンバーは彼女の罪を数えあげ断罪しようとした。
審判員はアポニアへ死刑という裁決を下す。アポニアは自身の罪と失敗を認めた。認めた上で、人類滅亡の運命を変えるにはまだ足りないと感じ、至深の処を出ていく。最強の精神感知型であるアポニア止められる人間はいなかった。
アポニアが起こした事件
- 火を追う蛾を知った者から記憶を奪った
- 一般人の女性の思考を操作しもう一人のエリシアにした
- 600人のメンバーの思考を一人の人間に存在させたことで40件以上の事件を引き起こした
- 第八律者(識の律者)の人格をコピーした
全文
「……アポニア、罪を認めるか?」
全てが徒労だとしても、ただ死を待つわけにはいかない――彼女はそう考える。
しかし彼女は、「認める」と言う。
「君はヴィルヴィが発見したように、事情を知る者から火を追う蛾に関する記憶を奪おうとし、その記憶の中にある空洞を埋められなかったことを認めるか?」
私たちは知るべきではない知識を得てしまったからこそ、今日という状況に陥った――彼女はそう考える。
しかし彼女は、「認める」と言う。
「君は自身の能力を通して、ある一般人の女性の思考が『もう一人のエリシア』になるように捏造したことを認めるか?」
それは彼女自身のお願いであり、私たちにはもっと希望が必要だったからだ――彼女はそう考える。
しかし彼女は、「認める」と言う。
「君はここにいる六百名のメンバーの思考を、同時に一人の人間の体に存在させ、そのために四十近くの事件を引き起こしたことを認めるか?」
彼らはすでに死ぬ寸前で、私はただ……彼らに生きてほしかった――彼女はそう考える。
しかし彼女は、「認める」と言った。
「君は第八律者の人格をコピーしたことを認めるか?」
どうすればいいか分からなかったか――彼女はそう考える。
しかし彼女は、「認める」と言った。
「……」
「以上、四百十件の罪に対して、君は罰を受け入れるか?」
私が嫌だと言ったら、他に誰がそれを受け入れられるというの――彼女はそう考える。
しかし彼女は、「受け入れる」と言った。
審判員たちは小声で議論し始め、最終的に一つの結論を出す。彼らはガベルを鳴らし、女性を処刑すると決めた。
しかしその時、言葉にできない恐怖が襲い、彼らはようやく……異様さに気付いた。
どうして女性は光に照らされた高い場所に立っているのだろう?そして、何故自分たちは鎖に縛られて、暗闇の中にいるのだろうか?
「整理してくれてありがとう、私の……失敗を。」
その声は変わらず、少し疲れが出ているだけだった。
しかしその表情は暗く、絶望を纏い、生気がない。
――あらゆる手を尽くしたが、彼女の目に映った運命の糸は、何も変わらなかった。
人類は……相も変わらず、あのタイミングで滅びる。
「おかげで、私のしたことはまだ足りないのだと実感した。私は……まだまだ続ける。」
「正しいかどうかは分からないし、成功するかも分からない。」
「唯一確信できるのは、人類の中で……」
「……私を止められる存在はいないということ。」
「それでいいの。」
彼女は立ち上がり、その場を去った。
「審判員」たちは震え始めた。彼らは必死に思い出そうとする……いつからなのか……
――いつから、この牢獄に閉じ込められているのに、自分が裁決を下すことができると錯覚したのだろうと。
開物
時期:第十三次崩壊収束、エリシアの死亡後
登場人物:アポニア、ヴィルヴィ
休眠装置を前に語り合うアポニアとヴィルヴィ。アポニアはヴィルヴィへ最後のお願いをする。
エリシアの死後、アポニアは運命の糸が見えなくなった。糸そのものを断ち切ったのか、「見えない」ようにしたのかは分からない。未来を予知できなくなったアポニアは、ヴィルヴィにある最後のお願いをした。ヴィルヴィはそれを「自殺」と何の違いもないと思ったが、アポニアはヴィルヴィの発明品に隠された「退路」を信じていた。
アポニアはどうしても「答え」を知りたい。そのためには「世界そのものになるしかない」と決意の固さをヴィルヴィに語った。
冒頭のアポニアの台詞「あの時、あなたがスウにしたことは、火を追う蛾の許しを得ていたの?」休眠装置を作る前、スゥへ第五の神の鍵「万物休眠」を渡すように言った時のこと。ヴィルヴィ側の追憶の皿「時計職人」では初めて彼女が「仲間に牙を剥いた」瞬間として書かれている。具体的に何をしたのかは不明。
開物:古代中国の書物「易経」の「開物成務」から来た語。「開物成務」とは天工を利用して開発し事業を成功させること。天工とは天のみわざ、大自然の働きのこと。天工に対する言葉として人工があるが、開物はこの人工(自然を利用した開発)のことを指す。「世界そのものになるしかない」(=人工の世界を作る?)というアポニアの台詞に関連したタイトル。余談ではあるが「易経」の作者は伏義という伝説がある。また原神のマップには「天工峡」という地名が存在する。
アポニアの求める「答え」:アポニアに見えていた運命の糸の正体?「最初の戒め」でエリシアと糸について語り合った時、「『糸』の正体を教えられるかもしれない」とエリシアは言った。エリシアによって運命の糸は見えなくなったが、糸の正体は教えられないままだったのかもしれない。人工の世界を作ることで「答えを得る」という目的を達成する=「開物成務」かも?
全文
「……結局あの時、あなたがスウにしたことは、火を追う蛾の許しを得ていたの?」
彼女たちの前にあるのは、数多くの休眠装置によって構成された銀色の海。地球の原初を思い出させるような景色である。
――あの時、「命の息吹」は同じように海で誕生したのであった。
「まっ!一応……これが最後の希望だからね。」
「でも、君とこういう話をするなんて不思議だなぁ。君は大丈夫?運命が二度と見えないって……どんな感覚?」
「……」
「困惑しているよ。」
「エリシアがどうやってそれを成し遂げたのかは、今でも分からないけど、彼女はちゃんとやってみせた。」
「……ふうん、まあ、それはどうだっていいんじゃない。とにかく悪いことではないし、そうでしょ?」
「でもね、ヴィルヴィ。エリシアが運命の存在を断ち切ったのか、それとも私を『見えないように』にしたのか、誰も断言できない。」
「私は……自分を騙したくないから。」
「それが、私がここに来た理由でもある。」
「ここ?それなら君は間違えてると思うよ。アポニア……ここは未来を予知する場所じゃない、未来を創造する場所なんだ。」
「こことは関係ないよ、ヴィルヴィ。『古の楽園』がメビウスのものになったとしても……稼働させるための設備はあなたが作ったものだ。」
柵の横に立った女性は少し横向きになり、簡単なジェスチャーをした。
「かつてあなたに話した仮説は……私の最後のお願い。あなたの作品であれば、きっと『退路』を残してくれると知っている。」
「……」
「アポニア、それは自殺と何の違いもないよ。」
「私は答えを手に入れなければならない。それと比べれば……命は大したものではないよ。」
「世界が私のほしいものをくれないというのなら、私は……」
「『世界』そのものになるしかない。」